夏の終わりと「さよならアンドロメダ」

11月中旬、もう既に夏の終わりとも言えないこの季節。 私は12月に開催される「THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS 6thLIVE MERRY-GO-ROUNDOME!!! 愛知公演」のチケットを握っていた。
そして、困っていた。

「曲が全然分からない...」

と言うのも、昨年の5thツアー以降アイドルマスターに全く触れて来なかった私は、この一年間でリリースされた楽曲がほとんど分からない状況だったのだ。 その為、この空白の一年間を埋める作業を急ピッチで進める羽目になってしまった。
そんな中で出会ったのが、「さよならアンドロメダ」だ。


はじめに

「さよならアンドロメダ」とは、「THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS MASTER SEASONS AUTUMN!」に収録される楽曲。歌唱は渋谷凛、森久保乃々、大和亜季。作詞作曲はTaku Inoue。曲調はFutureBassとかその辺。多分。

アイドルマスター|THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS MASTER SEASONS AUTUMN!

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タイトルにある「アンドロメダ」は秋の星座の「アンドロメダ座」、そして「アンドロメダ銀河」。これらがモチーフだろう。
歌詞には抽象的な表現が数多くあるが、聴くだけで心に響ような、儚げで切ない感情的な歌声とメロディが印象的だ。音楽としても十分に楽しめる一曲になっていると思う。 が、その歌詞の意味を、楽曲内のストーリーを汲み取ってこそ、この楽曲の魅力が引き出されると言えるだろう。
以下から、本楽曲の歌詞、ストーリーについて、僭越ながら考察して行きたいと思う。

登場人物、背景

本楽曲に登場するのは

の3つに分けられる。
歌詞を見て貰えば分かるとは思うが、明らかに意図的な平仮名表記の「ぼく」と「きみ」もいるのだが、こちらは後程。
夏の終わり、ひとりぼっちの「僕」の元に現れた「君」と共に「アンドロメダ」に向かう。これが大まかな物語の流れとなる。

もう一つ触れておきたいのが本楽曲の背景についてだ。
本楽曲では「夏の終わり」「秋」と言った季節。「太陽」「夜」「雨」と言ったワードを抽象的に使っている。 「夏の終わり」と聞いて皆さんは何を思うだろうか。ここに注目しておいて欲しい。
以上を踏まえて歌詞を追っていこう。
(予防線を張っておくが、本ブログは当楽曲を聞き始めて1週間程度のオタクの個人的な見解である)

1番Aパート

いつだってそう僕は一人だった

太陽さえ目を逸らした

笑わないまま時は過ぎていった

何度目かの夏も過ぎた

主人公である「僕」はひとりぼっちだった。
閉鎖的な言葉が並んでいる。
何らかの理由で太陽の光から目を背ける「僕」。
「僕」は光から目を背ける日々を過ごすことで、 笑うことが出来なくなってしまった。 そんな状態が長く続き、また夏が終わってしまった。

叶わない約束が雨になって

秋をそっと連れてきたその夜

目を覚ましたら君は隣にいて

笑わない僕を笑ってた

「僕」には何かしらの願い、或いは夢があった。
しかし「僕」は夢を目指す途中で、現実を知り、それは叶わない約束だと悟る。夢を半ば諦めている状態だ。 太陽から目を背けたのはどうやら挫折が原因らしい。そんな状態に「僕」は笑うことが出来ない。

叶わない約束が雨になり、「秋」を連れてくるということから、「秋」は夢に届かない「僕」の挫折を表していると解釈できる。 「秋=夏の終わり」とすると、「夏」は理想の象徴であると言える。太陽はその輝きであり、夜では太陽が見えず、雨が降る夜では星も見えない。それらは光を遮るもの、夢を見る中での障害であり、挫折した「僕」の気持ちを表現したものだろう。

そんな「僕」の目の前に突然「君」が現れた。「君」はそんな「僕」に笑いかける。

1番Bパート

ねえ こんばんは

ねえ どうしたんだい

ねえ どうして

どうして ずっと泣いてるの

これは「君」から涙を流す「僕」への問いかけ。
ここで「僕」は流している。夢に届かないと半ば諦めつつも、まだ諦めきれない、それ故の涙だろう。
「どうしてずっと泣いているの?」
励ましのようにも聞こえる。

1番サビ

ぼくら 今夜 今夜 そう旅立とう

ずっと ずっと 遠くへ

星の海の向こう アンドロメダ

星座たちのダンスも 地球のまたたきも

きみに見せてあげる

そしていつかいつかと

僕らはずっとずっと遠くの銀河見てた

二人

アンドロメダ

君はどんな

どんな暗い夜でも

もう笑えない僕にも笑ってくれた 

笑ってくれた

ここでは見ることの出来ない輝きが「アンドロメダ」にはある。「ぼく」と共に旅立ち、それを見に行こうと「君」は「僕」に語りかける。
閉鎖的な「僕」と遠くの銀河に連れて行こうとする「君」。 「僕」が失った笑顔を持つ「君」。2人は対称的な存在であるように見える。

少し話は逸れるが、ここで平仮名表記の「ぼく」と「きみ」が登場する。「アンドロメダ」に旅立とうと提案しているのは「君」である為、「ぼく=君」であり、「君」から見た「僕」が「きみ」であることが分かる。
纏めると、「僕=きみ」「ぼく=君」ということだ。

暗い夜でも笑えない僕に笑顔を見せてくれる「君」。
暗い夜では太陽が見えない。Aパートと同じ、夢を諦め、目を背けている状態。そんな笑顔を失った「僕」にも「君」は笑ってくれた。
「僕」は「君」に背中を押される形で「君」の提案を受け、目的地である「アンドロメダ」を目指す。

2番Aパート

七色の星屑の波に乗って

僕らは宇宙を駆け抜けた

不器用な地図をふたり描いた

隣の銀河を夢見て

「君」と共に「アンドロメダ」に向かっている「僕」。
ずっと遠くにあった銀河も、気が付けば隣まで来ていた。

願いが形になって叶う場所だと

昔本で読んだよ

星の雨も嵐も怖くないよ

君と行けるなら

ここで「アンドロメダ」は「願いが形になって叶う場所」であり、「僕」が昔読んでいたものであることが明らかになる。
つまり、「アンドロメダ」とは昔の「僕」が思い描いた、そして、今の「僕」が目を逸らし、叶わない約束*1とした夢そのものだった。
夢への道のりには困難が付き物だ。2人で描いた夢への地図だって不器用だ。でも、もうひとりぼっちではない。「君」と一緒なら怖くない。
「君」と出会うことで「僕」は夢と再び向き合うことになったという訳だ。

ここで幾つかの疑問が浮かび上がる。何故「君」は「僕」の夢である「アンドロメダ」を共に目指しているのか。そもそも「君」が何者なのか。どうやら「君」の存在こそが、この突飛な物語を解く重大なヒントになりそうだ。

2番Bパート

ねえ もうあと少しさ

ねえ もうあと少しだ

ねえ どうして

どうして君は泣いているの

1番とは逆に、「僕」から涙を流す「君」への問いかけ。
ずっと目指してきた夢である「アンドロメダ」まで、もう少しだ。
なのに何故「君」は泣いているの?現段階では分からないので後程。

2番サビ

そして今夜

今夜そう触れるよ

やっとやっと会えた

手を伸ばすよ

僕らのアンドロメダ

今夜もしも

もしもね

願いが叶うのなら

君に笑えるかな

笑えるかな

長い旅路の果て、2人は願いが叶う場所である「アンドロメダ」まで辿り着き、手を伸ばす。 そこで「僕」は「君」に笑いたいと願う。
「僕」が笑顔を失った原因が夢への諦めであることから、*2夢を叶えることで、「僕」は笑顔を取り戻すことが出来る。 即ち、笑顔は夢を叶えることの比喩であると解釈出来る。
ここまで辿り着いた今の「僕」なら笑顔を見せることが出来るかもしれない。

Cパート

ねえ ねえ

ねえどうして

どうしてきみは君なんだ

「僕」から「君」への問いかけ。
ここで遂に「君」の正体が明らかになる。

「どうしてきみは君なんだ」

「僕=きみ」であることから*3「君」は「僕」であることが分かり、「僕」はここで初めて「君」が「僕」であることを知ることとなる。

正反対に見えた「君」はもう一人の「僕」だった。
現実を知り、「叶わない約束」*4だと一人悟る「僕」。しかし、心の奥底では夢を諦め切れずにいたのも「僕」。
理想と現実、その二律背反の感情がもうひとりの「僕」である「君」を生み出したのだ。 つまり、「君」とは「僕」が心の奥で描いた「夢を追う理想の自分」の具現化だ。

2人の「僕」は当然同一の夢を持つ。その夢こそが「アンドロメダ」だ。 「僕」は「君」という「夢を追う自分」に自ら背中を押され、夢である「アンドロメダ」を再び目指し、辿り着いた。
しかし、その先で待っていたのは2人の別れだった。


ラスサビ

そして 今夜 今夜 そうお別れ

きっと もう 会えないけど

ずっと ずっとさ きみを思っているよ

泣きはらした顔も 声も

ねえ いつでも きみはすてきだったよ

「僕」と「君」の必然の別れ。
「夢を追う自分」である「君」は「僕」が夢を叶えることで消えてしまう存在だ。 「僕」は「君」と別れる必要があった。
「僕」は「夢を追う自分」である「君」と別れ、夢であった「アンドロメダ」から離れることで、新たな一歩を踏み出すことが出来る。「僕」が新たな一歩を踏み出し、この先の未来に進んで行く為には、夢に留まっていてはいけないのだ。「君」はそのことを知っていた。*5

別れ際に「君」は「僕」に最後の言葉を送る。

「いつでもきみ(僕)はすてきだったよ」

誰より近くで「僕」を見ていた「君」は、「僕」が何故涙を流していたのかを知っている。どんなに泣いても夢を諦められず、ひとりぼっちで理想と現実の狭間で葛藤していた「僕」を知っている。
そんな姿も、声も、素敵だったと「君」は言う。
その言葉は「僕」を励まし、「アンドロメダ」から送り出す言葉だった。

僕らはきっときっとそう一人で

僕の足で帰るよ

今日でさよなら

さよならアンドロメダ

そして一人になった「僕」は「君」の言葉を受け、夢であった「アンドロメダ」からの帰還を決意する。
「君」はもういないが、夢を叶えようとここまで来た「僕」は、とても強くなった。「君」と共に歩んだ軌跡があった。
その軌跡を胸に「僕」はここから一人で、自分の足で歩いていく。

新たな一歩を踏み出そうとする「僕」は、最後に別れを告げる。

「さよなら、アンドロメダ。」

そして夏の終わり

雨が静かに降る夜は

君のことを思い出すから

空見上げて微笑むから

物語のエピローグである。
冒頭のシーンと同じく、夏の終わりの雨が降る夜を迎える「僕」。
雨が降る夜では星は見えない。だが、夏の終わりの夜の雨を前にひとりぼっちで泣いていた「僕」はもうそこにはいなかった。 「君」と出会い、共に「アンドロメダ」を目指したあの日を思い出す「僕」が、雨の中、空を見上げて微笑むところで物語の幕が降りる。

ここで注目すべきは、「僕」の夏の終わりの捉え方が冒頭とは全く異なっているという点だ。
冒頭では笑顔を失い、泣いてばかりいる「夢を諦めようとした僕」の心情を夏の終わりに重ねていたのだが、ここでは「夢を追う自分」である「君」に導かれ、再び夢に向かい、夢を叶えたことで、挫折を乗り越え「新たな一歩を踏み出した僕」を夏の終わりとして描いている。

本楽曲が秋がテーマになっているのはこの楽曲を通して見られる「僕」の成長をより鮮明に表す為だと私は考察する。

まとめ

ここまで長々と書いて来たが、本楽曲「さよならアンドロメダ」は夢を諦めようとした「僕」が、「夢を追う自分」である「君」に導かれ、再び夢に立ち向かい、叶えるまで。更にそこから夢と決別し、新たな一歩を踏み出すまでの成長を描いた夏の終わりの孤独な物語である。

そして、その物語はアイドルマスターシンデレラガールズというコンテンツが描く、アイドル達の姿そのものではないだろうか。
「夢は夢で終わらない」と力強く歌い上げ、それぞれの夢と向き合い、悩み、成長していくアイドル達。そして、魔法が解けても自分達の足で歩いていこうとする頑張り屋なシンデレラの姿は「僕」の物語と重なる部分も多いだろう。
従って、本楽曲はシンデレラガールズのアイドル達が歌うべくして歌っている、これ以上なく相応しい一曲であると私は思う。

最後に

考察は以上だ。 思った以上に長くなってしまったが、少しでもこの楽曲の魅力が伝わったら嬉しい。
今回は歌唱メンバーの情報を一切取り入れずに書いたが、年齢や境遇の異なる3人がそれぞれ見る「さよならアンドロメダ」という観点で考察するのも面白いかもしれない。

話は逸れるが、どうやら来月の名古屋公演には歌唱メンバーが2人揃っているらしい。前述したことを含め、フルメンバーでの歌唱に勝るものは無いと思っているが、「僕」と「君」の対話であるこの楽曲は、2人で歌唱されることで、また違った魅力を持つのではないかと思う。
また、今回のドームツアーは季節がテーマになっていると聞く。順番的に名古屋公演1日目が秋に当たるそうだ。秋に相応しいこの楽曲が披露される確率は低くはないだろう。
名古屋公演での「さよならアンドロメダ」の披露に期待しつつ、披露された際はどのような表情を見せてくれるのか、とても楽しみだ。

ここまで、私の拙い文章を読んでくださり、ありがとうございました。 名古屋公演に来られる方は、是非共に楽しみましょう。

絶対にイントロで絶頂したい。
(ところで、この曲に比重を置き過ぎた所為で、他の曲の予習が一切進んでいないので、オススメの曲など教えてくれると嬉しいです。)

おわり。

*1:1番Aパート

*2:1番Aパートに記載

*3:1番サビに記載

*4:1番Aパート

*5:2番Bパートで「君」が涙を流していたのはこの為